大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所八王子支部 昭和63年(わ)359号 判決

主文

被告人両名をそれぞれ懲役一三年に処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各二五〇日を、それぞれの刑に算入する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(犯行にいたる経緯)

被告人両名は、いずれも昭和四二年に広島県福山市で出生し、同じ中学校に通っていたことから親しく交際するようになったが、被告人甲野は、昭和五八年、同市内の定時制高校を中退し、店員、鉄筋工等を転々としており、被告人乙川も、昭和五八年、同市内の工業高校を中退した後、店員、鉄筋工、鳶職、熔接工等を転々とし、昭和六一年八月頃からは大阪市内で鳶職として働いていた。被告人甲野は以前から暴力団員に憧れていたことから、東京へ行って暴力団に入ろうと決意し、昭和六二年三月頃、大阪にいる被告人乙川を訪ねて、同人を誘い、同年四月、上京して同人と共に暴力団○○事業組合××興業△△連合会組員となって、同会事務所である東京都新宿区歌舞伎町〈住所省略〉○○プラザ四〇五号室に寝泊まりし、事務所当番等をするようになった。同会事務所には、組員として被告人らの先輩であるA(当時二〇歳)が同様、寝泊りしていたが、同人は、同年五月頃から、事務所当番中、居眠りをしていた被告人甲野を殴ったり蹴ったりしたうえ、「やる気がないなら出てゆけ。」等と怒鳴りつけたのを初めとして、被告人両名に対して、夜遅くまで起きているよう命じて眠らせなかったり、早朝事務所に戻ってきては、眠っている被告人らの顔面を踏み付け、または枕で殴るなどして起こしたり、事あるごとにいわれなく殴打する外、被告人乙川の着ているパジャマを切り刻んだりする等の暴行や嫌がらせを加えるようになり、被告人らはこれに対し、強い反感の念を抱くようになった。そこで、同年七、八月頃、被告人らは、同連合会の幹部に対して、Aからいじめられている旨訴えたところ、右幹部から、「やくざをしているのだから辛抱しろ。一年位したら事務所から出られるから。」等と言われ、我慢するしかないと諦めたものの、その後も、Aからの暴行や嫌がらせは続き、同年八月頃からは、Aが被告人甲野の預かっている連合会の金を借りて返済しなかったり、勝手に持ち出したりするようになったため、被告人甲野は自己の小遣からその穴埋めをしたこともあったが、その後もAが被告人ら個人の金を借りて返済しないことが続き、被告人らはこのことでもAを腹立たしく思っていた。同年九月頃、被告人乙川はAのこのような行為に我慢できなくなり、被告人甲野に対し組をやめたいと再三訴えたが、その都度、被告人甲野からこれをなだめられていたところ、同年一〇月になって被告人甲野もついにAの行為に耐え切れなくなる一方、好きな暴力団員を辞める気にはならなかったことから、Aを殺害する外ないと決意し、その気持を数回にわたり被告人乙川に打ち明け、その頃、被告人乙川も、これに応じて被告人甲野と共にAを殺害しようと決意するに至った。その後、被告人らは、Aを殺害する方法やその死体の処理について相談を重ねた結果、騒がれないように眠らせてから殺害して、死体は海か山に投棄することに決め、睡眼薬やクロロホルムを入手しようとしたが、果たせなかったため、被告人甲野において、同月二〇日過ぎ頃、懇意な薬局の店員からクロロホルムと同様の効果があると聞いた工業用エーテルを入手し、右連合会が物置として使用している右○○プラザ四〇六号室に自分の衣類等と一緒にして隠し、Aを殺害する機会を窺っていた。同年一一月二日午前二時三〇分頃、被告人甲野が右○○プラザ四〇五号室に戻ってくると、被告人乙川とAの二人しか同室内におらず、同日午前三時頃にはAが眠ってしまいそうな様子であったので、被告人甲野は、A殺害を実行するよい機会であると考え、同室内に布団を敷くため、右○○プラザ四〇六号室に布団を取りに行った際、同じく同室に来た被告人乙川に対し、「今日がチャンスだ。寝たらやっちゃおう。タオルに薬をつけて口に押し当てて麻痺させ、そのあと、首を絞めて殺そう。タオルを枕元に用意しておけ。」と言ったところ、被告人乙川も直ちにこれに賛同した。そこで、被告人甲野は隠しておいた工業用エーテルを布団と共に右○○プラザ四〇五号室に持ち込み、一旦、同室内の自分の使用するロッカー内に入れ、同室内に敷いた布団に入る際に再び持ち出して、布団の横にある電気ポット内に隠し、被告人らはタオルを用意したうえ、布団に入ってソファに横になっていたAが眠るのを待った。そして、間もなくAがいびきをかきはじめたので、被告人甲野は、被告人乙川に対し、「おまえはAの頭の方から行ってタオルで口を押さえろ。俺は足の方から行き、おまえが失敗したら俺がやるから。」と言い、被告人乙川もこれを了承し、次いで、被告人甲野において、右工業用エーテルを電気ポットから出して、自分の持ってきたタオルと被告人乙川のタオルに浸み込ませた。

(罪となるべき事実)

被告人両名は、共謀のうえ

第一  昭和六二年一一月二日午前四時頃、右○○プラザ四〇五号室において、眠っている前記Aを殺害しようと企て、同人に対し、被告人乙川において、工業用エーテルを浸み込ませたタオル(昭和六三年押第一一三号の2)でAの口を押さえたところ、同人が起き上がり被告人乙川の首を締めるなどしたので、被告人甲野において、Aの後ろから右腕を首に回して締め付けながら、被告人乙川同様工業用エーテルを浸み込ませたタオル(同押号の1)をAの口に押し付け、被告人乙川において暴れるAの身体を押さえるなどしていたが、右工業用エーテルの効果が現れないので、被告人甲野において、右タオルを捨て、同人の頚部に回していた右腕の手首を左手で掴んで同人の頚部を絞めつけた後、右手で同人の首を掴むようにして締め付け、その間、被告人乙川において、Aを押さえ付け、さらに被告人甲野において、Aをうつ伏せに押し倒し、同人にのしかかるようにして同人の首を掴むようにして締め付け、手拳で同人の頭部を数回殴打し、さらに頚部に右タオル(同押号の1)を一回巻き付け、被告人両名において、その両端を強く引っ張って締め付けるなどし、そのころ、同所において、右Aを窒息死させて殺害した。

第二  右同日午前五時頃、右同所において、同人の死体をシーツ、掛布団に包み、ビニール紐で梱包し、これを同月六日午前五時頃、同都西多摩都奥多摩町河内一二番地付近奥多摩湖畔崖下に投棄し、もって、死体を遺棄した

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の所為はいずれも刑法六〇条、一九九条に、判示第二の所為はいずれも同法六〇条、一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪につき被告人両名いずれについても所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、被告人両名について、いずれも同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、それぞれ懲役一三年に処し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中各二五〇日をそれぞれその刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により全部これを被告人両名に連帯して負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人らは、犯行後、他人を介してまたは自ら警察に出頭して自首したものであると主張するので、この点について検討してみる。

まず、弁護人は、被告人らがBことCを介して自首したと主張するので、この点について考えてみると、自首は、犯人が捜査機関に対し、これに発覚する前に自発的に自己の犯罪事実を申告して、その処分を委ねることを要するところ、右申告は他人を介して行うこともできるが、その場合には、その他人が犯人の意を受けて、これに代わってその犯罪事実を捜査機関に申告することの外、犯人自身がいつでも捜査機関の支配内に入る態勢にあることを要するものと解するのが相当である。

これを、本件についてみるに、第六回公判調書中の証人BことCの供述部分によると、Cは、被告人甲野から組の兄貴分にあたるDを介して、被告人らがAを殺害して死体を遺棄した旨聞いたことから、昭和六三年三月二八日深夜、新宿警察署に出頭して、警察官に対し、そのような事件があるのかどうか、あるのであれば被告人らが警察に出頭すると言っているが、一〇日間くらい待ってもらいたい旨申告したというのであり、Cが警察に対して右申告を行ったのはDを介して被告人らから依頼されたためとはいうものの、その当時、Cは被告人らの所在も知らず、Cの側からは被告人らに連絡することもできない状況にあり、被告人らが警察に出頭する日時についても、Cはそれを具体的には知らず、また、C自身これを被告人らに指示することはできないというのであり、その後、実際に出頭する日時を被告人らが自分で決め、それをCが警察に連絡したのはその当日であったというのであるから、右Cの警察に対する申告当時、被告人らがいつでも捜査機関の支配内に入る態勢にあったものとは到底言えず、右Cの警察に対する右申告を以って、被告人らが自首したものであるとは言えない。

次に、弁護人は、被告人らは、昭和六三年四月一〇日、警察に出頭して自首したものであると主張するが、第三回公判調書中の被告人乙川の供述部分によると、被告人乙川は、出頭後、警察官に対し、当初、被告人甲野との事前の打ち合わせどおり、本件については死体遺棄のみに関与した旨供述していたところ、捜査官から、被告人甲野と一緒に殺人も行ったのではないかと追及を受け、翌日、これを認めるに至ったことが認められ、右事実によると、被告人乙川の行為が殺人について自首に当たらないことは言うまでもないので、被告人甲野については殺人、死体遺棄につき、被告人乙川については死体遺棄につきそれぞれ自首となるかを以下検討する。

前記のとおり、自首は、捜査機関に発覚する前に、捜査機関に対し自発的に自己の犯罪事実を申告することを要するところ、関係各証拠によると、昭和六二年一一月二六日、本件被害者の死体が発見され、翌六三年三月一〇日、右被害者がAであることが判明したことにより、被害者と組事務所に同居していた被告人ら両名が捜査の対象となった結果、遅くとも、同月二四日には、本件犯行直後に被告人乙川が借りたレンタカーから被害者と同じ血液型の血痕が発見されたことや同月二六日以降、被告人ら両名の所在が判らなくなったため、翌四月六月には被告人らの実家に警察官が赴き、被告人らの家族から事情聴取し、その際、被告人らが殺人を犯した旨告げるなど関係者に対して被告人らに対する捜査の進展状況が明らかになるような捜査を始めたことが認められ、その時既に捜査機関においては本件各犯行に被告人ら両名が関与しているものとの判断に立ち至っていたことが認められるのである。そうだとすれば、被告人らが富坂警察署に出頭した同年四月一〇日には、本件各犯行を被告人らが行ったことを捜査機関に既に発覚していたものと認めるのが相当であるから、被告人らが右時点で警察に出頭したことは自首に当たらないというべきである。

よって、弁護人の主張は採用しない。

なお、関係各証拠によると、被告人らは、昭和六三年四月一〇日、富坂警察署に弁護士と共に出頭したところ、警察では直ちに逮捕手続をとることをせず、被告人らを捜査員らと共に自動車に同乗させて、青梅警察署まで連行し、同月一四日に逮捕するまでの間、警察で指示した青梅警察署付近のホテルに宿泊させ、その付近に警察官を配置したり、被告人らを連日青梅警察署に同行して取調べを行っていたことが認められ、この点は第五及び第六回公判調書中の証人Eの各供述記載のように捜査機関においては、本件犯行に被告人ら以外の関与者がいるのではないかとの疑いを持っていたことや、被告人らが事前に打ち合わせをして、被告人乙川が殺人には関与していない旨の供述をしていたこと等の事情があったため慎重を期していたものであったとしても、被告人らの右出頭当時、前記のように被告人らが本件各犯行に関与していたものであることが既に捜査機関に判明していた以上、何故このような措置をとったのか理解に苦しむところであり、このようなあいまいな形で被告人らの自由を制限した右措置は、当時における被告人らのこれについての対応等を考慮すれば関係証拠の証拠能力に影響を及ぼす程の違法とは言えないまでも妥当性を欠く遺憾なものと言わざるを得ない。

(量刑の理由)

被告人両名の本件各犯行は、同じ暴力団員である被害者から継続的に暴行を受けたり、金銭的にも迷惑を掛けられていたことなどから、これに耐え切れなくなって被害者を殺害し、その死体を奥多摩湖畔に投棄したというものであるところ、被告人らに対する被害者の暴行は確かに執拗なものであり、他の組員の目に触れない場所で為されるという点で陰湿と言わざるを得ないが、被告人らはその事態を改善するために真剣に他の組員らに相談する等他の方法を考えることなく、その所属する暴力団を辞めたくないことから短絡的に本件各犯行に及んだものであって、身勝手で自己中心的な犯行と言わざるを得ず、動機において酌量する余地は少ない。その犯行態様も、被害者の殺害を決意した後、殺害方法や死体の処理等について検討し、事前に工業用エーテルを入手するなどしてその時期を待ち、組事務所内に他の組員がおらず、被害者が就寝した後を狙って無防備な被害者を二人掛かりで襲い、判示のとおり殺害したうえ、その死体を布団やシーツで包んで自動車のトランク内に隠し、長く駐車しておくと怪しまれるとの懸念から、駐車場を途中で変え、さらに奥多摩湖畔に投棄したという計画的犯行であり、冷酷で極めて残酷な犯行と言わねばならない。そして、その結果、被害者は掛け替えのないその生命を奪われたものであって、結果は余りにも重大であり、二〇歳の若さで逝かなければならなかった被害者の無念さ、口惜しさ、腐乱し余りに変わり果てた被害者に対面させられた遺族の嘆き、怒りは察するに余りあるものであるが、被告人らは遺族に対し、その被害感情を慰謝するに充分な措置を講じておらず、将来にわたりこれが為される可能性も少ないことを思えば、被告人らの刑事責任は極めて重いと言わざるを得ない。そして、本件犯行後、被告人甲野は、被害者のロッカー等からその腕時計やブレスレットを取り出し、これを入質換金して被告人乙川と折半した外、被害者の衣類等を始末して、同人の行方を気遣う他の組員に対しては、被害者が組を抜けて逃げたかのように話し、また、被害者の死体が発見された後も、以前と変わりなく組の仕事を続け、本件の捜査が身辺に及ぶや、逮捕を覚悟したためとはいうものの、組の金を持ち出すなどして行方をくらませ、僅かの期間に多額の金銭を遊興に費消するなど犯行後の態様も極めて悪質である。

したがって、犯行後、五か月を経過しているうえ、当初は虚偽の供述をしていたとはいうものの、自ら警察に出頭したものであること、被告人両名とも若年で、前科もないこと、現在では本件各犯行を反省していること、被告人らの親族が被害者の遺族を訪れ謝罪していること等弁護人指摘の被告人両名に有利なまたは同情すべき事情の総てを考慮しても主文掲記の量刑はやむを得ないものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官長﨑裕次 裁判官山本武久 裁判官石栗正子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例